<え?!マラソン記録が行方不明って?!>
「走った距離は裏切らない」
こんにちは、ニンニンです。
リオオリンピックもいよいよ大詰めですね。
昨日は、ウサインボルトのレベルの違いを見せつけられました。女子マラソンは残念でしたが、、、(ノ_<)選手の皆さん、本当にお疲れ様でした!
オリンピックのマラソンといえば、オリンピック史上最も遅いマラソン記録 をご存知ですか?
その記録保持者は、なんと日本人なんです。
その方のお名前は、金栗四三(かなぐり しそう)さん。
金栗 四三さんは、明治24年(1891年)生まれの日本のマラソン選手です。日本マラソン界の発展(箱根駅伝の開催に尽力・高地トレーニングの導入)に大きく貢献し、日本における「マラソンの父」と称されるそうです。
何故、この方の話が有名であるかというと、第5回ストックホルムオリンピック 明治45年(1912年)のマラソン競技で行方不明という記録を残しているからです。
なぜ、こんなことが起こってしまったのでしょうか?様々な要因があるそうです。
これらの要因により、マラソン競技中に意識を失ってしまい、通りかかった人が発見して、近くの農家で介抱されたそうです。金栗選手の意識が戻ったのは競技の翌朝。更にオリンピック委員会に棄権の意思が伝わっていなかったため、行方不明と扱われてしまったそうです。
この話には続きがあります。昭和42年(1967年)にストックホルムオリンピック開催55周年を記念する式典に招待されました。当時の記録を調べていたオリンピック委員会が、金栗選手が行方不明扱いになっているのに気付いたからです。
当時じゃないんかい!って突っ込みたくはなりますが、、、。
金栗選手は、ストックホルムに行き、式典で用意されていたゴールテープを駆け抜けました。その時、「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされたそうです
金栗選手はゴール後、
「長い道のりでした。この間に孫が5人できました」
と、ウイットに飛んだスピーチで、笑いと感謝の意を伝えたそうです。
なんともほっこりするお話ですね。
マラソンの父のいる日本、、男子マラソンも是非、頑張って欲しいですね!
でも、、無事にゴールには戻って来て下さいね!!^^